
文章中、司…司会者、●…参加者 |

JR鷹取駅から南、国道2号を越えるとそこが長楽地区です。長楽地区は国道2号から海際まで広がる地域で、コミュニティの核としては長楽小学校、野田女子高等学校などの学校があり、その周辺には下町の静かな住宅街、また西、南には石油タンク群があり住工が混在するまちが形成されています。長楽地区はまた小説「少年H」で有名な舞台芸術家、妹尾河童さんが育ち、小説の舞台となったまちでもあり、長楽小学校も妹尾河童さんの母校です。長楽地区は一見なにげない住宅街ですが、ベストセラー小説の舞台となった全国に注目される地域でもあります。


司)長楽地区は昔はどんなまちだったのですか。
●昔から長楽地区は静かでいいところでしたよ。近所には本庄湯という銭湯があり、そして今はなき長楽市場には、八百屋、肉屋、味噌屋、果物屋、豆腐屋などが軒を連ね、その周辺にある商店街にはタバコ屋、氷屋、散髪屋、自転車屋などがありましたし、少し足を延ばせば鷹取市場(野田北部地区)、日の出市場(駒ヶ林)もあり生活に不自由しませんでした。
●私は本庄町8丁目ですが、昭和30年頃は家の裏が浜でした。港まつりでは浜に、垂水からの装飾された漁船が来たり、子供会で運動会をしたこともありました。また鷹取駅からの引込線がライジングサン石油(今の昭和シェル石油)まで通っていました。
●昔砂浜だった野田の浜沿いの空き地では、わかめを干していましたね。浜では染物を洗ったり、また塩田もありました。昔は縄を吊るして塩を造っていたんです。
司)昔のこの地域の方々の職業は主になんだったのですか。
●材木商やお百姓さん、漁業関係の方や実業家も多かったです。
司)まつりとかは行われていましたか。
●やはりみなとまつりですね。三味線や太鼓などで大変賑やかでした。今は国道2号で分断されていますが、野田北部と一緒に山車とか繰り出しました。駒ヶ林の人と山車同士でけんかしあい、その迫力はすごかったですよ。


司)長楽地区は区画道路で整理されていますし野田女子高校が古くからありますよね。
●野田女子高校は大正15年に双子池(現野田北部地区)を埋め立てたとき誘致したそうです。昔の人が地域の将来のためと学校を作ったんです。
長楽小学校は大正6年に開校し、その名称も長楽尋常小学校・長楽国民学校・長楽小学校と変わっていっています。大正14年に火災により校舎を失い、昭和2年に建てられた鉄筋校舎が現在の校舎です。昭和10年頃、区の人口もピークになりましたが、子供たちも「朝から組」と「昼から組」に分かれ、2部授業が行われていました。昔は子供がたくさんいたので今のように一人一人、かまってもらえませんでしたね。戦後一時長楽小学校と保育所が一緒になっていて、昭和40年代には長楽小学校に市電を2台置いて、それを保育所として利用したこともあったんですよ。
今まちが碁盤の目になっていますが、まちづくりとしても、昔は耕地整理ということで道も広げていきました。今の六間道も4間にするか8間にするかともめて、6間になったという話を聞いたことがあります。

大正3年8月、長田、池田、西尻池、駒ケ林、野田の各村々の地主が集まって耕地整理組合をつくった。当時神戸市の中心部から西へ市街地整備が進められ、新湊川以東まで完成していたので、この地域も将来は市街地化されることはあきらかであった。しかし当面は、この地域で生産された野菜類が、兵庫と須磨方面に出荷する際、道幅が狭いうえ、収穫期には道路が作業場となるため、交通の妨げとなった。また雨でも降れば排水が悪くぬかるんだ。このように自然に出来上がったあぜみちが交通路としての重要な役割を持つようになったため、まず主要幹線道路と地域内道路とを指定、ともに道を拡げ、道の両側に排水溝をつくることが急がれた。工事は組合設立と同時に行われ、大正5年にはほぼ完成し、10月29日に真陽小学校で竣工式が行われた。
(長田の歴史より)


●私は昭和13年の水害で長楽小学校の屋上に避難した記憶があります。私の家の近くは下駄が浮いた程度でしたが、野田の地区内でも場所によっては妙法寺方面から牛やタンスなどが流れてきました。
●水が止まって、今の長楽小学校のプールのところに昔、天理教の教会があり水をもらいにいったことを覚えています。
●戦時中(第2次世界大戦)は布引から引かれた共同水道を10軒ほどで使っていましたが、使える時間が決まっていて、空襲時の消化活動など水が必要なときに使えないと困るので、各町でよく井戸を掘っていました。
●3月17日の神戸大空襲をはじめ、戦争の末期にはカーチス、B29といった飛行機が来て焼夷弾を落とし、長楽市場も焼けてしまいました。そして終戦とともに地区内にも進駐軍の兵隊が入ってくるようになりました。
司)震災のときはどうだったのですか。
●電気、ガス、水道が完全に分断されましたが、私は火事が二葉町の方にきていたので火が回らないようにと、倒壊した家々を、電気を切って回りました。
●学校が避難所となり、また公園に仮設住宅ができたりと大変な状況でしたが、徐々に復旧し、今はまちは落ち着きを取り戻しています。
幸殿神社
司)地区内にはひっそりと幸殿神社が建っていますね。
●神社の周りが亀の甲型になっていますが、あの石は岐阜県の木曽川上流まで買い付けにいったものです。
幸殿神社は須磨の證誠神社の系列だったのですが、大国神社(現在の大国公園)が売られたとき、縁が切れてしまい、氏子がいない中で、維持管理が大変難しい状況になっています。
●この地区には源平史跡として胴塚さんもありますが震災で倒れたままになっています。


長楽地区は戦災、震災などで被害を受け、まちの人々はそのたび苦労をしてきたのですが、人々はそんな逆境にもめげず、とてもやさしい、下町の人情を持った、そんな地域です。まちを歩いていてもほっとする、そんなまちが長楽地区ですが、これからも地域のふれあいを大切にし、世代を超えて仲良くつきあい、あたたかさ、やさしさを守り、育てていっていけたら。トークの中でみなさんのそんな願いを強く感じることができました。

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大槻 勝治郎
棚野 浩充
大前 治良
前田 小春
小林 一夫
森 春子
城野 邦子
(順不同・敬称略) |

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